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スタイリッシュなモノクロの群像劇:『パリ13区』に垣間見た、70歳監督と若手女性脚本家が描く「男性へのシビアな評価」

 『パリ13区』のプロットは、現代社会における人間関係や愛の形態を、文化の多様性、テクノロジーの浸透、そして何よりも「孤独」を埋めるための行動を通して、多層的に描き出しています。 私の以前のレビューでも触れた通り、この映画のキャッチコピーである「つながるのは簡単なのに 愛し合うのはむずかしい」が、現代の愛の形態を描く上での核となっています[CH]。ここでの「つながる」は、セックスとSNS的なつながりのダブルミーニングであると解釈されています。 以下に、プロットを通じて描かれる現代の人間関係や愛の形態を詳述します。 1. 現代社会のコンテクストと多様な「つながり」 『パリ13区』の舞台は、再開発地区であり、アジア系移民が多いパリ最大級の中華街もあるカルチャーミックスの街、13区です。台湾系フランス人のエミリーやアフリカ系フランス人のカミーユといった、多様なルーツを持つ登場人物を中心に物語が展開します。 プロットには、2020年代の世界の共通項とも言える現代的な要素が日常に深く絡み合っています。 • 孤独と生きづらさ:登場人物たちは皆、孤独を抱えながらもそれを表に出さないように生きており、その葛藤や生きづらさが描かれています。 • SNSと誹謗中傷:ノラが金髪ウィッグを着用したことで、SNS上でポルノスターと間違われ、誹謗中傷やいじめの標的となる事件は、デジタル時代の関係性の危険な側面を示しています。 • マッチングアプリ:エミリーはコールセンターの仕事をクビになった後、中華料理店で働きながらマッチングアプリで相手を探していることが語られ、現代の出会いの形態が描かれています。 2. セックスを中心とした非コミットな関係 プロットの大部分は、深い愛情やコミットメントを伴わない、性的な行為が先行する人間関係を中心に展開します。 • エミリーとカミーユの関係:コールセンターで働くエミリーは「まずはセックスしてみる」というタイプで、ルームメイトになった高校教師のカミーユとすぐにセックスをする仲になりますが、恋人にはなりません[CH, 5, 8]。カミーユが関係を拒むと、エミリーは当初のルールを変更し、家事負担を増やすなど、関係性の気まずさが生じます。カミーユは最終的に「ぼくは君の恋人でもなんでもない」と言い放ち、他の女性の部屋へ引っ越してしまいます。これは、「つながる」...

【映画デートのスリルはこれ!】地上600mの絶望を二人で乗り越える。『FALL/フォール』が最高のデートムービーである理由

 映画鑑賞はデートの定番ですが、次に二人で観る一本に迷ったら、断然**『FALL/フォール』**をおすすめします!この作品は、単なるサバイバルスリラーとして終わらない、スリル、ドラマ、そして鑑賞後の語らいの種が満載の、最高のデートムービーなのです。 物語の舞台は、地上600mにそびえ立つ、今では使われていない老朽化のテレビ塔です。事故で夫を亡くしたベッキーを立ち直らせようと、親友のハンターがクライミングを計画しますが、二人が頂上まで到達した直後、梯子が崩れ落ちて地上に戻れなくなってしまいます。スカイツリーに匹敵する高さの頂上で孤立した女性二人の極限のサバイバルが描かれるのです。 この映画最大の魅力は、その心臓が止まりそうなほどのスリル感です。 主人公たちを演じた女優は、実際に高さ30mの塔からスタントなしで撮影したそうで、観客の心拍数を序盤から上げていきます。風に煽られ、落下する危険に常にさらされる状況は、まさにジェットコースターに乗っているような緊張感を生み出します。高所恐怖症の人は特に「終始ヒヤヒヤで怖かった」と感じるほどの緊迫感。二人が一緒にこのハラハラを共有することで、思わず隣の相手と顔を見合わせたり、手を握り合ったりするなど、自然と距離が縮まるでしょう。 さらに、本作はただ高所で怖いだけではありません。極限状況下で明らかになる、主人公の旦那と親友の「不倫関係」という衝撃の人間ドラマが展開します。そして、巧妙に張り巡らされた伏線とサプライズの回収は圧巻です。視聴者が抱いていた「違和感」が最後に「そういうことか!」という驚きに変わり、その展開の巧みさに引き込まれます。 鑑賞後には、親友ハンターの不自然な行動や、主人公ベッキーの「えっぐ...」な覚醒、そして予想外の結末について、「あれってどういうことだったんだろう?」と熱く語り合えること間違いなし。**「王道でありながら最高傑作」**と評されるこのサバイバルスリラーは、きっと話が尽きない最高のデートのきっかけを提供します。 最高の余韻は、エンディングを飾るマディソン・ビアーの感動的な楽曲「I have Never Felt to more LIFE」がさらに高めてくれるでしょう。ぜひ大画面の映画館で体験し、二人きりのスリルと感動を分かち合ってください。

『私はいったい、何と闘っているのか』

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  安田顕演じるスーパーのフロア主任と彼の妄想が巻き起こすヒューマンコメディかと思いきや骨太の人生ドラマ。 日常の節々で語られる妄想と想像。 決してふざけているわけではない、折々で語られる安田顕の心の言葉が自分の心に突き刺さる。 日々繰り返される日常、刺激のない毎日は誰のせいでもない。 自分の想像力が枯渇しているだけなんだとこの映画は教えてくれる。 安田顕は冴えない中年なのかもしれない。 しかし家族には愛されている。 安田顕が娘の婚約者にいった言葉 「小梅(娘)は泣き虫だから、泣かさないでね」 もっといい言葉があったもだけれど、これが精いっぱいと心でつぶやく。 彼の心の中で無数に現れた言葉に比べれば、物足りない言葉だったのかもしれないけれど、 悩んでもがいて絞り出した言葉で家族はつながっている。 後半、登場人物たちの歩んだ様々な人生や人のつながりが交差したタクシーのシーンは最高だ。 語られる言葉は少ないけれど、そこ居合わせた人たちの様々な思いが視線や表情、 安田顕の心の声で語られる。 原作はつぶやきシローの同名小説。 だがそんな予備知識など目に入れずに観てほしい。

亡き天才を思う『Winny』

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革新的なファイル共有ソフト“Winny"を開発しながら、違法ファイルの蔓延を幇助した罪に問われたプログラマー、金子勇氏の闘いを映画化した実録社会派ドラマ。 2002年。プログラマーの金子勇は高い匿名性を持つ革新的なファイル共有ソフトWinnyを開発、公開する。だがWinnyは映画や音楽、ゲームなど違法コピーされたファイルのやりとりの温床となり、社会問題に発展していく。やがて矛先は金子に向けられ、彼は事態を予見できたはずだとして著作権法違反幇助の容疑で逮捕されてしまう。この報を受け、サイバー犯罪に詳しい壇俊光率いる弁護団が金子の弁護を引き受けるが……。 『Winny』 このアプリの名前を知っている人は多いだろうし、「パソコンに入れてはいけないアプリ」というイメージの人も多いはず。 本作品はWinnyの開発者・金子勇の逮捕から判決までのおよそ7年半を描いた作品だ。 Winnyというアプリから連想するヤバさは、「きっと開発した人もヤバいのだろう」につながり、ヤバいものを作ったヤバい人の裁判を映画なんだろうにつながる。 しかしこの作品で描かれる金子勇のヤバさはそんなヤバさではない。 ヤバさはじける天才のヤバさなのだ。 「普通の人が3年かかるものを2週間で作る」というエピソードは文章を読めばわかるが、映像として表現される金子勇は体を大きく揺らしたり、テクノロジーの話になると早口で楽しそうにまくしたてたり、腕組の仕方が独特だったり、顔の前で違う違うと手を振る仕草が特徴的だったり、なんだか変で、つかみどころがなくて、とてもかわいい。 金子勇を演じるのは東出昌大。   東出昌大さんは声が特徴的で、セリフをしゃべっていても場になじまずもったいないなと思う作品もあるが、本作品においては場になじまない東出昌大さん特徴的な声質が、終始異質な雰囲気を醸し出す金子勇と相まって東出昌大史上、最高のキャラクターだと感じた。 アイデアを思いついたと裁判中にコードを直し始める金子さんはまるでおもちゃを与えられた子供のようでかわいい。何かに夢中になっている人の周りには必ず応援してくれる人が集まるということをこの映画は語ってくれる。 ただ金子さんに罪を被ってもらわないと困ってしまう困った人間もまたいるわけで。 残念なのは7年半かかって無罪を勝ちとったこの裁判の半年後に金子さんは亡くなった...

この熱さ、好き『RRR』

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第95回アカデミー賞で挿入歌「ナートゥ・ナートゥ」が歌曲賞を受賞。世界的に大反響を呼んだインドの娯楽超大作。監督は「バーフバリ」2部作のS・S・ラージャマウリ。 インド映画と聞いて何をイメージするだろうか? 長い。 踊る。 歌う。 髭面のムチムチ男が出てくる。 RRRはコレらのイメージすること全てが余すことなく描かれる。 正真正銘のインド映画だ。 だけれど心地いい。 映画の舞台はイギリス植民地時代のインド。 イギリス人にさらわれた少女を救うためにデリーに向かった部族の守護神ビーム。 ビームは列車事故の現場に遭遇すると事故に巻き込まれた少年を警察官ラーマと協力し助け出す。 ビームとラーマはお互いの正体を知らないまま親友になる。 ラーマもただの警察官ではなく大義のために警察官になり、出世を目指していた独立運動家だったのだが、二人がお互いの素性を知った後、何をどう選択したのかが見どころ。 友情をとるのか使命をとるのか。 悩みに悩んで出した答えに胸が熱くなる。 この映画もインド映画の例に漏れず、ありえないシーンの連続だが、それを言ってはおしまいだ。 常識にとらわれては、あの肩車の戦闘シーンは描けない。 コレこそがインド映画なのだ。

『私たちのハァハァ』

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青春とはエネルギーの放出である。 ゆえにどこかでエネルギーを放出せねばならない。 問題は何にエネルギーを放出させるかだ。 そう感じさせる映画。 福岡県北九州市に暮らす仲良し女子高生の4人組が、ロックバンド、クリープハイプの地方ライブ出待ちをしているときに言われた「東京のライブにも来てください」という言葉をきっかけに東京に向かう。 しかもママチャリで。 その情熱、思い、無鉄砲さが青春。 放出されるエネルギーに比例して映像も女子高生たちのふとももも輝きも増し、目を細めず見ることができない。 しかし東京に近づいて来るにつれ、彼女たちの輝きにも変化が訪れる。 北九州市を出た時をカルピスウォーターだとすれば、東京に来た時にはレッドブル。 持ち前のエネルギーだけではどうにもならない、東京までの距離と時間。 直面する現実の厳しさに戸惑い打ちひしがれる4人の女子高生。 北九州市から東京を目指したこの数日間は何だったのか。 彼女たちに答えが出るのはもう少し先だろう。 しかし青春のエネルギーをクリープハイプにささげた彼女たちに後悔は無いはずだ。 その輝きがまぶしい。

珠玉のセリフの数々『映画大好きポンポさん』

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  「ポンポさんが来たぞ」 というセリフとともに現れる映画大好きポンポさん。 キャラクターの見た目は子供っぽいかもしれないが、映画製作現場の現実をドライにクールに語っている。 と思う。 と思うというのは映画の製作現場を知らないから。 働いたこともないし、働きたいと思ったことはあるけどもチャンスにも恵まれず、映画へのあこがれだけが残った今の自分にとって、映画製作現場はわかった風な口は絶対にしゃべってはいけない聖域なのだ。 そんな聖域でポンポさんは偉大な祖父を持つという、機会に恵まれながら敏腕プロデューサーとして戦っている。 まぶしいお方。 ポンポさんが放つセリフにはその見た目からは想像もできない刺さる言葉が投げかけられる。 例えばポンポさんが放つこんなセリフ。 「まあ極論、映画なんて女優を魅力的に取れればそれでOKでしょ」 確かにそうだ。 魅力的な女優のイメージしか残らない映画は確かに存在する。 女優が魅力的なのか、魅力的に撮れている女優なのか。 女優の感想しか残らなくてもいいんだと救われた気持ちになる。 そんなポンポさんがアシスタントのジーンに映画の監督を任せるところからこの物語は動き出す。 ジーンの採用理由が「ジーン君がいちばんダントツで、目に光が無かったからよ」というのもおもしろい。 あこがれだった映画監督というチャンスを手に入れ、映画製作にまい進するジーン。 ジーン君にとっての映画の縛りはポンポさんが語った映画は90分以内というルール。 祖父から長編映画を延々と見せられた幼少期のポンポさんにとって「90分以下のわかりやす〜い作品は砂漠のオアシスって感じだったわ」 90分以内の映画を目指しとったシーンの取捨選択を迫られるジーン君。 シーンの取捨選択は、何かを得るには何かを犠牲にしなければならないというジーン君の人生の教訓とも重なる。 ここからエンディング向かっての加速感がたまらない。 「君の映画に君はいるかね」 の言葉に追加の撮影を願うジーン君に、その願いをかなえるポンポさん。 「ポンポさんが来たぞ」というセリフと共に登場するポンポさんが実に頼もしい。 杉谷庄吾の【人間プラモ】のコミックをアニメ映画化作品。 もちろんこの映画自体も90分台。 しびれる。

『永遠の門 ゴッホの見た未来』

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 狂気の映画だ。 私にとってゴッホとは自分の耳を切り落とし、娼婦に送った画家のイメージが強い。 しかも耳を切り落とした自分の自画像を何枚も書いている。 貧しくてモデルを雇うことができなかったという理由もあるようだが、人付き合いが得意でなかったとか。   狂気の画家ゴッホを演じたのがこれまた狂気の俳優ウィレム・デフォー。  『プラトーン』、『今そこにある危機』、『処刑人』等様々あるが『スパイダーマン』グリーン・ゴブリンは格別だ。 単純な悪ではない、善ではあるがゆえに悪に飲み込まれる二面性をもった複雑な役に私の心はスパーダーマンどころではなくなった。   ウィレム・デフォーの強面の見た目になりたいと思った。   狂気の画家を狂気の役者が演じたらどうなるか。 その答えがこの映画。   ウィレム・デフォーの強面の見た目はゴッホの自画像から飛び出したような見た目だし、ウィレム・デフォーの深い皺はまるで油絵のようだ。   画を書くことへの情熱とウィレム・デフォーがゴッホになりきる情熱がバッチバチにぶつかり合う。 ゴッホは言う。   人生は種まき。   芽が出るのは自身が死んだあとでいいということ。   この言葉に心が軽くなる。  

4輪の情熱『フォードvsフェラーリ』

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 『フォードvsフェラーリ』という題名だが、カーレース界の頂点に君臨するイタリアのフェラーリに挑んだフォードの話。   もっと正確に言ったら、ブランドイメージを高めるためにフェラーリの買収を目論んだがフェラーリの創業者からすっかりコケにされ、怒ったフォードの代表がル・マン24時間耐久レースで連覇を続けるフェラーリを打ち負かせと至上命令を受けた二人の男のお話。 天才カーデザイナー、シェルビーを演じたのはマッド・デイモン。   敏腕ドライバー、マイルズを演じたのはクリスチャン・ベール。 この二人の友情が熱い。 子供のように殴り合ったかと思えば、二人仲良くコーラを飲む。   その二人を優しく見つめるマイルズの妻モリー・マイルズ。   彼女も熱く、美しい。 モリー・マイルズを演じたのはカトリーナ・バルフ。テレビドラマ『アウトランダー』で従軍看護婦を演じたあの人だ。 レースのシーンも熱いのだが、フォードの代表、ヘンリー・フォード2世をル・マンのために仕上げた車、GT40に乗せてデモ走行をするシーンがいい。   ヘンリー・フォード2世をGT40に乗せるためにチームメイト一丸で策略する。 車作りは、天才デザイナーと凄腕のドライバーだけでできるものではない。 メカニックやそのほかの技術者の力が必要だ。   この映画の中では端役になってしまっているような人物が連携をし、事を成す。   チームメイトの見事な連携によりヘンリー・フォード2世を助手席に押し込ませた後はドライバー、マイルズの荒ぶる時間がはじまる。   フォードGT40の雄たけびのようなエンジン音。   野獣のような動力性能。   人間の運動能力をはるかに超えた運動能力による重力の刺激を受けたヘンリー・フォード2世はむせび泣き、熱いものを漏らす。     痛快。

上腕ですべてを解決する『犯罪都市』

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2004年に実際に起きた「Heuksapa」という事件をもとにしている映画。   中国の延辺から来たチャイニーズマフィアとソウル市九老区の加里峰洞を仕切る地元の暴力団の間で縄張り争いが勃発。   地元警察が平和を目指す。 マ・ドンソク演じるマ・ソクト のキャラクターが強烈。   暴力団かと思ったら警察のほうだった。 マ・ドンソクはアジアのアクションスターだと思っている。   ただし使うのはアクロバット的なアクションでも華麗なカンフーアクションでもない。   ちょっとした女性の胴回りくらいありそうな上腕から放たれる「鉄拳」だ。   チンピラくらいならパンチだけで息を引き取ってしまう。 『犯罪都市』は銃もカーアクションもなく、純粋にマ・ドンソクによる豪快な肉弾戦が堪能できる。   鉄パイプもナイフも斧も通じない。   圧倒的なわがままボディ。   極限まで肥大化した筋肉の鎧から放たれる攻撃はリアルヤジロベー。   黄色い服を着た部下に「タンポポか」としっかりジョークも忘れないところがにくい。   最後のチャイニーズマフィアのボス、チャン・チェンとの対決では手こずるのかと思いきや圧倒的な破壊力で圧倒する。   アジアが生んだ新時代のアクションスター、マ・ドンソクから目が離せない。 

夢見る少女から夢見る女性へ『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』

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 1995年。   作家になることを夢見て西海岸からNYに移り住み、老舗の出版エージェンシーで働き始めることになった若い女性ジョアンナ。 ジョアンナはJ・D・サリンジャーの代理人を務めることになった。   代理人といってもすでに隠匿生活を送っているサリンジャー宛てのファンレターに「サリンジャーはファンレターを読みませんので悪しからず」とだけ返信する仕事。   J・D・サリンジャーの著作を一冊も読んだ琴のないジョアンナは特に感慨も抱かずに淡々と仕事をするが何人かの熱心なファンにはサリンジャーになりすまし丁寧な返信をし始める。   ジョアンナを演じるマーガレット・クアリーが作家を夢見る文学少女を好演。   不器用で、でもまっすぐ。   同じく作家を目指すボンクラ書店員と恋に落ち、これは愛ではないことに目が覚める。   1995年の設定も小気味好く、まだインターネットやスマホが十分ではない自由さにうっとりする。 無機質なニューヨークのビル群を背景に人間がお互いの目を見あって会話をし、思いをぶつけあう。   たったこれだけのことが画になる。スマホの小さい画面には収まりきらないニューヨークの街並みにあこがれる。   出版社の所狭しと並べられた書物に囲まれ人の言葉、書物の言葉に触発され成長をするジョアンナにくぎ付けだ。   もう自分には西海岸から作家を目指す少女といえばマーガレット・クアリーしか思い浮かばない。

それでも言葉は残る『愛する人に伝える言葉』

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  末期のすい臓がんと診断され、残りわずかな時間を人生の整理と病に向き合うことに懸命に励んだ演劇教師バンジャマン。 バンジャマンを支える母親、医師たち、演劇学校の生徒たち。 彼のためにとする行動がはたして彼の望んでいることなのか。 旅立つ患者に向けた5つのフレーズ。   赦して、僕は赦す、ありがとう、愛してる、さようなら。 悩み苦しむのは患者本人だけではなく、医師たちも最良を求めて苦悩する。 誰しも必ず訪れる最後の瞬間を迎える瞬間は、静かで、深い。

『君と歩く世界』

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 シャチの調教師として働くステファニーは水中ショーの最中の事故で両足を失ってしまう。 絶望で心を閉ざしたステファニーが連絡を取ったのはナイトクラブで自分を救ってくれた男アリだった。 このアリという男。 頭の中にあるのはセックスと格闘技というなかなかの野生児。 しかし足がないというだけで憐みの視線を浴びなければならない絶望の中にあるステファニーにとって野生児アリはシンプルイズベストでいい男。 ステファニーは次第にアリに惹かれていく。 アリはアリでステファニーの気持ちに気づきながら、ステファニーの目の前で悪びれもせず他の女性とどこかに行ってしまうような本能むき出しの男。 気持ちがいい男といえば気持ちがいいがそんなアリにも試練が訪れる。 最愛の息子を助けるために格闘技で鳴らした拳がうなる。 格闘技をやっている時よりも強く、激しく、両方の拳が壊れるほど。 格闘技をやっている時でさえここまではしない。 倒すためではなく助けるため。 人は自分や愛する人の死の間際に直面した時に自分のそれまでの人生の意味を理解する。 決してハッピーエンドではないが、アリの穏やかになった表情と、アリを見つめるステファニーの表情に二人だけのハッピーが終着する。 いい。

『博士と狂人』

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  言葉の翼を持てば世界の果てまで飛べる 世界最高峰の辞書と称賛される『オックスフォード英語大辞典』。 しかしそのプロジェクトは困難を極める。 英語辞典編纂計画を推し進めるべく採用されたのは独学で言語学博士となった天才、マレー博士。 マレー博士をもってしてもなかなか進まない編纂計画だが、マレー博士の前に協力者として現れたのは殺人を犯して精神病院に収監中のマイナー博士だった。 異端と言われながらも辞典の編纂に並々ならぬ情熱を燃やすマレー博士と、強迫観念に苦しみもがきながらも未来にささやかな希望を願うマイナー博士。 情熱と狂気。 2人の立場や行動原理は異なれど、言葉に対する圧倒的な執念を静かに淡々と紡ぐ。 言葉への畏敬に溢れたこの映画を、言葉で語れるように私はなりたい。

『時空変態人間 もしも時間が止められたら!』

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  時間を止められる、不思議なメガネを手にした青年が巻き起こす騒動を描いた映画の第2弾。 前回とは出演者を一新し、第2弾では成海うるみ改め渚うるみがナースのヒロインを熱演。 止まった時間の中で、妄想と想像と欲望と願望を炸裂させ、時間が動き出せばいたずらが自分に返ってくる変態にドジをプラスした主人公の満男。 満男は高校生時代の同級生でナースの美空に思いを寄せるが、まるで相手にされない。 そんな満男の前に時間を止められるメガネを持つもう一人の男が現れる。 映画のあらすじが第1弾とほぼ同じ。 時間だけじゃなく、思考も止まっているというところが素晴らしい。 時間が止まるという状況において人間みたいなものがとる行動なんてものはほぼ同じ。 環境や時代で大して変わることなどない。 所詮は人間。 制作者の強い意志を感じる。 そして、しっかりエッチだ。

『時空変態人間 時間よ止まれ!』

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  時間を止めることができたら。 人間なら一度は考えるであろう心躍る状況を完全映画化。 時間を止められる不思議なメガネを手にした青年が、妄想と願望と欲望と希望を止まった時間の中で手に入れようとする。 この映画が素晴らしいのは時間を止められる不思議なメガネを手にした男がもう一人現れるところだ。 お互いが時間を止めあい、主導権を取り合いながら心を寄せる女性にアプローチをする。 どちらも変態なのにアプローチが異なるところが面白い。 そしてエッチなシーンはしっかりエッチだ。

『キャッシュトラック』

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  寡黙で腕の立つ新人警備員が現金輸送車を狙う悪者を返り討ち。 もちろん新人警備員を演じるのはジェイソン・テイサム。 寡黙で腕が立ち、おまけにミステリアス。 ジェイソン・テイサム史上最もジェイソン・テイサムに仕上がっている本作のジェイソン・テイサムだが本作の特徴はジェイソン・テイサムの復讐劇。 ジェイソン・ステイサムの復讐劇は数あれど本作が他の作品と違うのは、本作のジェイソン・ステイサムはギャングのボスというところだ。 物語の出だしこそ謎めいた凄腕の新人のアスーパーアクションだが、謎が明らかになるにつれジェイソン・ステイサム向かうのは正義のためでもプロとしての流儀でもなく目的を果たしたところで達成感などない純粋な復讐。 静かな怒りはギャングの部下までも震え上がらせ、ゆっくりと確実に真犯人に近づいていく。 ジェイソン・ステイサムを見るとまるで自分がジェイソン・ステイサムになったような気になってしまうが『キャッシュトラック』のジェイソン・ステイサムは、その悲劇さから凄味より悲しみのほうが押し寄せる。 だがそこがいい。

失ったのは若さだけではない『トップガン』

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  2022年に公開されスマッシュヒットも記憶に新しい『トップガン マーヴェリック』の36年前に公開された前作『トップガン』。 36年前というと四半世紀以上も前の作品であり、なんで今更36年前の映画なんてと思う人もいるかもしれないが、36年前だろうが映画にとって古いなんて言葉は適切ではない。 『トップガン』の中ではスマホなど今は当たり前のものがないのが当然だし、もしかしたら『トップガン』の時代のようにスマホがない日常を観ているだけで手持ちぶたさを感じる人もいるかもしれない。 逆に当時はあったけれど今はないものもある。 エリートパイロットを養成する訓練施設「トップガン」を舞台にした本作には、今から見れば若きトム・クルーズをはじめ数多くの若き俳優たちのむせかえるような灼熱のエネルギーが充満している。 友情 愛情 夢 葛藤 これらは今も昔ももちろんあるのだが、36年前の映画『トップガン』観ると今よりも濃密に向き合っているように感じる。 インターネットがなかったころはいったい何をしていたんだっけと思うことが自分にもある。 ちゃんとネットのない時代を生きてきたはずなのに、今となっては何をしていたのか思い出せない。 ボーとしていたのか。のんびりした時代だったのか。 すっとそう思っていたのだが、そうではないということを映画『トップガン』は思い出させてくれた。 好きなことに熱中する、夢中になる。 昔は当たり前でも、 今、熱中できるのは特別なのだ。

『燃えよ剣(2021)』

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  原作は司馬遼太郎の同名小説。 新選組を題材にした作品は、映画に限らず、ドラマ、小説、漫画、舞台と多岐にわたるし、『燃えよ剣』に関しては2度目の映画化。 だから新選組の面々がこの後どうなっていくのか、きっとこの映画を見る人の多くは知っている。 多摩のバラガキ(ならず者)だった土方にどうして人は惹きつけられるのか。 新選組の人気を決定づけたのが小説『燃えよ剣』なら、この小説を原作にした映画『燃えよ剣』には人を魅了する答えがある。 新選組の6年間を描くには148分の映画でもまだ短い。

真実は小説よりも『ザ・ロストシティ』

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  君は表紙で中身を判断しないと思っていた 新作ロマンティック冒険小説『The Lost City』を完成させた人気作家のロレッタが『The Lost City』内で描かれた伝説の古代都市の場所を知っていると思い込んだ億万長者フェアファックスによって南の島に連れ去られ、小説『The Lost City』の表紙を飾ったモデル・アランがロレッタを救出するために南の島に向かう。 このあらすじだけでもワクワクするが、出演するのがサンドラ・ブロック、チャニング・テイタム、ダニエル・ラドクリフ、ブラッド・ピットという豪華メンバーにワクワクと心拍数が止まらない。 映画もワクワクとドキドキの連続だ。 サンドラ・ブロック演じる作家のロレッタは言われるがままに着させられたレンタルのピチピチボディスーツにお尻の割れ目を食い込ませ、イベントに登場したチャニング・テイタム演じるモデルのアランはEurope の楽曲『Final Countdown』に合わせポーズを決める。 救出に向かった南の島ではブラッド・ピット演じるジャック・トレーナーが大活躍。 金髪の長い髪に太い腕のジャック・トレーナー。 この太い腕で次々に大男をスリーパーホールドで眠らせる。 出演時間は短いながらもジャックの生きざまは最後まで必見。 ダニエル・ラドクリフはダニエル・ラドクリフだ。 コメディ作品ということでおちゃらけ担当に思えたモデル・アランの独白のシーンにハッとさせられた。 ロマンティック冒険小説の表紙を飾ったことで世間のイメージと自分とのギャップに悩むアラン。 冒頭のイベントでの登場シーンも決して彼の本心ではない。 「君は表紙で中身を判断しないと思っていた」と本の著者ロレッタに打ち明けるシーンは恋愛感情の告白だけでなく、人生の吐露だったのだ。 浅いようで意外に深い。 インショアホールムービー。