投稿

スタイリッシュなモノクロの群像劇:『パリ13区』に垣間見た、70歳監督と若手女性脚本家が描く「男性へのシビアな評価」

 『パリ13区』のプロットは、現代社会における人間関係や愛の形態を、文化の多様性、テクノロジーの浸透、そして何よりも「孤独」を埋めるための行動を通して、多層的に描き出しています。 私の以前のレビューでも触れた通り、この映画のキャッチコピーである「つながるのは簡単なのに 愛し合うのはむずかしい」が、現代の愛の形態を描く上での核となっています[CH]。ここでの「つながる」は、セックスとSNS的なつながりのダブルミーニングであると解釈されています。 以下に、プロットを通じて描かれる現代の人間関係や愛の形態を詳述します。 1. 現代社会のコンテクストと多様な「つながり」 『パリ13区』の舞台は、再開発地区であり、アジア系移民が多いパリ最大級の中華街もあるカルチャーミックスの街、13区です。台湾系フランス人のエミリーやアフリカ系フランス人のカミーユといった、多様なルーツを持つ登場人物を中心に物語が展開します。 プロットには、2020年代の世界の共通項とも言える現代的な要素が日常に深く絡み合っています。 • 孤独と生きづらさ:登場人物たちは皆、孤独を抱えながらもそれを表に出さないように生きており、その葛藤や生きづらさが描かれています。 • SNSと誹謗中傷:ノラが金髪ウィッグを着用したことで、SNS上でポルノスターと間違われ、誹謗中傷やいじめの標的となる事件は、デジタル時代の関係性の危険な側面を示しています。 • マッチングアプリ:エミリーはコールセンターの仕事をクビになった後、中華料理店で働きながらマッチングアプリで相手を探していることが語られ、現代の出会いの形態が描かれています。 2. セックスを中心とした非コミットな関係 プロットの大部分は、深い愛情やコミットメントを伴わない、性的な行為が先行する人間関係を中心に展開します。 • エミリーとカミーユの関係:コールセンターで働くエミリーは「まずはセックスしてみる」というタイプで、ルームメイトになった高校教師のカミーユとすぐにセックスをする仲になりますが、恋人にはなりません[CH, 5, 8]。カミーユが関係を拒むと、エミリーは当初のルールを変更し、家事負担を増やすなど、関係性の気まずさが生じます。カミーユは最終的に「ぼくは君の恋人でもなんでもない」と言い放ち、他の女性の部屋へ引っ越してしまいます。これは、「つながる」...

【映画デートのスリルはこれ!】地上600mの絶望を二人で乗り越える。『FALL/フォール』が最高のデートムービーである理由

 映画鑑賞はデートの定番ですが、次に二人で観る一本に迷ったら、断然**『FALL/フォール』**をおすすめします!この作品は、単なるサバイバルスリラーとして終わらない、スリル、ドラマ、そして鑑賞後の語らいの種が満載の、最高のデートムービーなのです。 物語の舞台は、地上600mにそびえ立つ、今では使われていない老朽化のテレビ塔です。事故で夫を亡くしたベッキーを立ち直らせようと、親友のハンターがクライミングを計画しますが、二人が頂上まで到達した直後、梯子が崩れ落ちて地上に戻れなくなってしまいます。スカイツリーに匹敵する高さの頂上で孤立した女性二人の極限のサバイバルが描かれるのです。 この映画最大の魅力は、その心臓が止まりそうなほどのスリル感です。 主人公たちを演じた女優は、実際に高さ30mの塔からスタントなしで撮影したそうで、観客の心拍数を序盤から上げていきます。風に煽られ、落下する危険に常にさらされる状況は、まさにジェットコースターに乗っているような緊張感を生み出します。高所恐怖症の人は特に「終始ヒヤヒヤで怖かった」と感じるほどの緊迫感。二人が一緒にこのハラハラを共有することで、思わず隣の相手と顔を見合わせたり、手を握り合ったりするなど、自然と距離が縮まるでしょう。 さらに、本作はただ高所で怖いだけではありません。極限状況下で明らかになる、主人公の旦那と親友の「不倫関係」という衝撃の人間ドラマが展開します。そして、巧妙に張り巡らされた伏線とサプライズの回収は圧巻です。視聴者が抱いていた「違和感」が最後に「そういうことか!」という驚きに変わり、その展開の巧みさに引き込まれます。 鑑賞後には、親友ハンターの不自然な行動や、主人公ベッキーの「えっぐ...」な覚醒、そして予想外の結末について、「あれってどういうことだったんだろう?」と熱く語り合えること間違いなし。**「王道でありながら最高傑作」**と評されるこのサバイバルスリラーは、きっと話が尽きない最高のデートのきっかけを提供します。 最高の余韻は、エンディングを飾るマディソン・ビアーの感動的な楽曲「I have Never Felt to more LIFE」がさらに高めてくれるでしょう。ぜひ大画面の映画館で体験し、二人きりのスリルと感動を分かち合ってください。

『私はいったい、何と闘っているのか』

イメージ
  安田顕演じるスーパーのフロア主任と彼の妄想が巻き起こすヒューマンコメディかと思いきや骨太の人生ドラマ。 日常の節々で語られる妄想と想像。 決してふざけているわけではない、折々で語られる安田顕の心の言葉が自分の心に突き刺さる。 日々繰り返される日常、刺激のない毎日は誰のせいでもない。 自分の想像力が枯渇しているだけなんだとこの映画は教えてくれる。 安田顕は冴えない中年なのかもしれない。 しかし家族には愛されている。 安田顕が娘の婚約者にいった言葉 「小梅(娘)は泣き虫だから、泣かさないでね」 もっといい言葉があったもだけれど、これが精いっぱいと心でつぶやく。 彼の心の中で無数に現れた言葉に比べれば、物足りない言葉だったのかもしれないけれど、 悩んでもがいて絞り出した言葉で家族はつながっている。 後半、登場人物たちの歩んだ様々な人生や人のつながりが交差したタクシーのシーンは最高だ。 語られる言葉は少ないけれど、そこ居合わせた人たちの様々な思いが視線や表情、 安田顕の心の声で語られる。 原作はつぶやきシローの同名小説。 だがそんな予備知識など目に入れずに観てほしい。

亡き天才を思う『Winny』

イメージ
革新的なファイル共有ソフト“Winny"を開発しながら、違法ファイルの蔓延を幇助した罪に問われたプログラマー、金子勇氏の闘いを映画化した実録社会派ドラマ。 2002年。プログラマーの金子勇は高い匿名性を持つ革新的なファイル共有ソフトWinnyを開発、公開する。だがWinnyは映画や音楽、ゲームなど違法コピーされたファイルのやりとりの温床となり、社会問題に発展していく。やがて矛先は金子に向けられ、彼は事態を予見できたはずだとして著作権法違反幇助の容疑で逮捕されてしまう。この報を受け、サイバー犯罪に詳しい壇俊光率いる弁護団が金子の弁護を引き受けるが……。 『Winny』 このアプリの名前を知っている人は多いだろうし、「パソコンに入れてはいけないアプリ」というイメージの人も多いはず。 本作品はWinnyの開発者・金子勇の逮捕から判決までのおよそ7年半を描いた作品だ。 Winnyというアプリから連想するヤバさは、「きっと開発した人もヤバいのだろう」につながり、ヤバいものを作ったヤバい人の裁判を映画なんだろうにつながる。 しかしこの作品で描かれる金子勇のヤバさはそんなヤバさではない。 ヤバさはじける天才のヤバさなのだ。 「普通の人が3年かかるものを2週間で作る」というエピソードは文章を読めばわかるが、映像として表現される金子勇は体を大きく揺らしたり、テクノロジーの話になると早口で楽しそうにまくしたてたり、腕組の仕方が独特だったり、顔の前で違う違うと手を振る仕草が特徴的だったり、なんだか変で、つかみどころがなくて、とてもかわいい。 金子勇を演じるのは東出昌大。   東出昌大さんは声が特徴的で、セリフをしゃべっていても場になじまずもったいないなと思う作品もあるが、本作品においては場になじまない東出昌大さん特徴的な声質が、終始異質な雰囲気を醸し出す金子勇と相まって東出昌大史上、最高のキャラクターだと感じた。 アイデアを思いついたと裁判中にコードを直し始める金子さんはまるでおもちゃを与えられた子供のようでかわいい。何かに夢中になっている人の周りには必ず応援してくれる人が集まるということをこの映画は語ってくれる。 ただ金子さんに罪を被ってもらわないと困ってしまう困った人間もまたいるわけで。 残念なのは7年半かかって無罪を勝ちとったこの裁判の半年後に金子さんは亡くなった...

この熱さ、好き『RRR』

イメージ
第95回アカデミー賞で挿入歌「ナートゥ・ナートゥ」が歌曲賞を受賞。世界的に大反響を呼んだインドの娯楽超大作。監督は「バーフバリ」2部作のS・S・ラージャマウリ。 インド映画と聞いて何をイメージするだろうか? 長い。 踊る。 歌う。 髭面のムチムチ男が出てくる。 RRRはコレらのイメージすること全てが余すことなく描かれる。 正真正銘のインド映画だ。 だけれど心地いい。 映画の舞台はイギリス植民地時代のインド。 イギリス人にさらわれた少女を救うためにデリーに向かった部族の守護神ビーム。 ビームは列車事故の現場に遭遇すると事故に巻き込まれた少年を警察官ラーマと協力し助け出す。 ビームとラーマはお互いの正体を知らないまま親友になる。 ラーマもただの警察官ではなく大義のために警察官になり、出世を目指していた独立運動家だったのだが、二人がお互いの素性を知った後、何をどう選択したのかが見どころ。 友情をとるのか使命をとるのか。 悩みに悩んで出した答えに胸が熱くなる。 この映画もインド映画の例に漏れず、ありえないシーンの連続だが、それを言ってはおしまいだ。 常識にとらわれては、あの肩車の戦闘シーンは描けない。 コレこそがインド映画なのだ。

『私たちのハァハァ』

イメージ
青春とはエネルギーの放出である。 ゆえにどこかでエネルギーを放出せねばならない。 問題は何にエネルギーを放出させるかだ。 そう感じさせる映画。 福岡県北九州市に暮らす仲良し女子高生の4人組が、ロックバンド、クリープハイプの地方ライブ出待ちをしているときに言われた「東京のライブにも来てください」という言葉をきっかけに東京に向かう。 しかもママチャリで。 その情熱、思い、無鉄砲さが青春。 放出されるエネルギーに比例して映像も女子高生たちのふとももも輝きも増し、目を細めず見ることができない。 しかし東京に近づいて来るにつれ、彼女たちの輝きにも変化が訪れる。 北九州市を出た時をカルピスウォーターだとすれば、東京に来た時にはレッドブル。 持ち前のエネルギーだけではどうにもならない、東京までの距離と時間。 直面する現実の厳しさに戸惑い打ちひしがれる4人の女子高生。 北九州市から東京を目指したこの数日間は何だったのか。 彼女たちに答えが出るのはもう少し先だろう。 しかし青春のエネルギーをクリープハイプにささげた彼女たちに後悔は無いはずだ。 その輝きがまぶしい。

珠玉のセリフの数々『映画大好きポンポさん』

イメージ
  「ポンポさんが来たぞ」 というセリフとともに現れる映画大好きポンポさん。 キャラクターの見た目は子供っぽいかもしれないが、映画製作現場の現実をドライにクールに語っている。 と思う。 と思うというのは映画の製作現場を知らないから。 働いたこともないし、働きたいと思ったことはあるけどもチャンスにも恵まれず、映画へのあこがれだけが残った今の自分にとって、映画製作現場はわかった風な口は絶対にしゃべってはいけない聖域なのだ。 そんな聖域でポンポさんは偉大な祖父を持つという、機会に恵まれながら敏腕プロデューサーとして戦っている。 まぶしいお方。 ポンポさんが放つセリフにはその見た目からは想像もできない刺さる言葉が投げかけられる。 例えばポンポさんが放つこんなセリフ。 「まあ極論、映画なんて女優を魅力的に取れればそれでOKでしょ」 確かにそうだ。 魅力的な女優のイメージしか残らない映画は確かに存在する。 女優が魅力的なのか、魅力的に撮れている女優なのか。 女優の感想しか残らなくてもいいんだと救われた気持ちになる。 そんなポンポさんがアシスタントのジーンに映画の監督を任せるところからこの物語は動き出す。 ジーンの採用理由が「ジーン君がいちばんダントツで、目に光が無かったからよ」というのもおもしろい。 あこがれだった映画監督というチャンスを手に入れ、映画製作にまい進するジーン。 ジーン君にとっての映画の縛りはポンポさんが語った映画は90分以内というルール。 祖父から長編映画を延々と見せられた幼少期のポンポさんにとって「90分以下のわかりやす〜い作品は砂漠のオアシスって感じだったわ」 90分以内の映画を目指しとったシーンの取捨選択を迫られるジーン君。 シーンの取捨選択は、何かを得るには何かを犠牲にしなければならないというジーン君の人生の教訓とも重なる。 ここからエンディング向かっての加速感がたまらない。 「君の映画に君はいるかね」 の言葉に追加の撮影を願うジーン君に、その願いをかなえるポンポさん。 「ポンポさんが来たぞ」というセリフと共に登場するポンポさんが実に頼もしい。 杉谷庄吾の【人間プラモ】のコミックをアニメ映画化作品。 もちろんこの映画自体も90分台。 しびれる。