投稿

『永遠の門 ゴッホの見た未来』

イメージ
 狂気の映画だ。 私にとってゴッホとは自分の耳を切り落とし、娼婦に送った画家のイメージが強い。 しかも耳を切り落とした自分の自画像を何枚も書いている。 貧しくてモデルを雇うことができなかったという理由もあるようだが、人付き合いが得意でなかったとか。   狂気の画家ゴッホを演じたのがこれまた狂気の俳優ウィレム・デフォー。  『プラトーン』、『今そこにある危機』、『処刑人』等様々あるが『スパイダーマン』グリーン・ゴブリンは格別だ。 単純な悪ではない、善ではあるがゆえに悪に飲み込まれる二面性をもった複雑な役に私の心はスパーダーマンどころではなくなった。   ウィレム・デフォーの強面の見た目になりたいと思った。   狂気の画家を狂気の役者が演じたらどうなるか。 その答えがこの映画。   ウィレム・デフォーの強面の見た目はゴッホの自画像から飛び出したような見た目だし、ウィレム・デフォーの深い皺はまるで油絵のようだ。   画を書くことへの情熱とウィレム・デフォーがゴッホになりきる情熱がバッチバチにぶつかり合う。 ゴッホは言う。   人生は種まき。   芽が出るのは自身が死んだあとでいいということ。   この言葉に心が軽くなる。  

4輪の情熱『フォードvsフェラーリ』

イメージ
 『フォードvsフェラーリ』という題名だが、カーレース界の頂点に君臨するイタリアのフェラーリに挑んだフォードの話。   もっと正確に言ったら、ブランドイメージを高めるためにフェラーリの買収を目論んだがフェラーリの創業者からすっかりコケにされ、怒ったフォードの代表がル・マン24時間耐久レースで連覇を続けるフェラーリを打ち負かせと至上命令を受けた二人の男のお話。 天才カーデザイナー、シェルビーを演じたのはマッド・デイモン。   敏腕ドライバー、マイルズを演じたのはクリスチャン・ベール。 この二人の友情が熱い。 子供のように殴り合ったかと思えば、二人仲良くコーラを飲む。   その二人を優しく見つめるマイルズの妻モリー・マイルズ。   彼女も熱く、美しい。 モリー・マイルズを演じたのはカトリーナ・バルフ。テレビドラマ『アウトランダー』で従軍看護婦を演じたあの人だ。 レースのシーンも熱いのだが、フォードの代表、ヘンリー・フォード2世をル・マンのために仕上げた車、GT40に乗せてデモ走行をするシーンがいい。   ヘンリー・フォード2世をGT40に乗せるためにチームメイト一丸で策略する。 車作りは、天才デザイナーと凄腕のドライバーだけでできるものではない。 メカニックやそのほかの技術者の力が必要だ。   この映画の中では端役になってしまっているような人物が連携をし、事を成す。   チームメイトの見事な連携によりヘンリー・フォード2世を助手席に押し込ませた後はドライバー、マイルズの荒ぶる時間がはじまる。   フォードGT40の雄たけびのようなエンジン音。   野獣のような動力性能。   人間の運動能力をはるかに超えた運動能力による重力の刺激を受けたヘンリー・フォード2世はむせび泣き、熱いものを漏らす。     痛快。

上腕ですべてを解決する『犯罪都市』

イメージ
2004年に実際に起きた「Heuksapa」という事件をもとにしている映画。   中国の延辺から来たチャイニーズマフィアとソウル市九老区の加里峰洞を仕切る地元の暴力団の間で縄張り争いが勃発。   地元警察が平和を目指す。 マ・ドンソク演じるマ・ソクト のキャラクターが強烈。   暴力団かと思ったら警察のほうだった。 マ・ドンソクはアジアのアクションスターだと思っている。   ただし使うのはアクロバット的なアクションでも華麗なカンフーアクションでもない。   ちょっとした女性の胴回りくらいありそうな上腕から放たれる「鉄拳」だ。   チンピラくらいならパンチだけで息を引き取ってしまう。 『犯罪都市』は銃もカーアクションもなく、純粋にマ・ドンソクによる豪快な肉弾戦が堪能できる。   鉄パイプもナイフも斧も通じない。   圧倒的なわがままボディ。   極限まで肥大化した筋肉の鎧から放たれる攻撃はリアルヤジロベー。   黄色い服を着た部下に「タンポポか」としっかりジョークも忘れないところがにくい。   最後のチャイニーズマフィアのボス、チャン・チェンとの対決では手こずるのかと思いきや圧倒的な破壊力で圧倒する。   アジアが生んだ新時代のアクションスター、マ・ドンソクから目が離せない。 

夢見る少女から夢見る女性へ『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』

イメージ
 1995年。   作家になることを夢見て西海岸からNYに移り住み、老舗の出版エージェンシーで働き始めることになった若い女性ジョアンナ。 ジョアンナはJ・D・サリンジャーの代理人を務めることになった。   代理人といってもすでに隠匿生活を送っているサリンジャー宛てのファンレターに「サリンジャーはファンレターを読みませんので悪しからず」とだけ返信する仕事。   J・D・サリンジャーの著作を一冊も読んだ琴のないジョアンナは特に感慨も抱かずに淡々と仕事をするが何人かの熱心なファンにはサリンジャーになりすまし丁寧な返信をし始める。   ジョアンナを演じるマーガレット・クアリーが作家を夢見る文学少女を好演。   不器用で、でもまっすぐ。   同じく作家を目指すボンクラ書店員と恋に落ち、これは愛ではないことに目が覚める。   1995年の設定も小気味好く、まだインターネットやスマホが十分ではない自由さにうっとりする。 無機質なニューヨークのビル群を背景に人間がお互いの目を見あって会話をし、思いをぶつけあう。   たったこれだけのことが画になる。スマホの小さい画面には収まりきらないニューヨークの街並みにあこがれる。   出版社の所狭しと並べられた書物に囲まれ人の言葉、書物の言葉に触発され成長をするジョアンナにくぎ付けだ。   もう自分には西海岸から作家を目指す少女といえばマーガレット・クアリーしか思い浮かばない。

それでも言葉は残る『愛する人に伝える言葉』

イメージ
  末期のすい臓がんと診断され、残りわずかな時間を人生の整理と病に向き合うことに懸命に励んだ演劇教師バンジャマン。 バンジャマンを支える母親、医師たち、演劇学校の生徒たち。 彼のためにとする行動がはたして彼の望んでいることなのか。 旅立つ患者に向けた5つのフレーズ。   赦して、僕は赦す、ありがとう、愛してる、さようなら。 悩み苦しむのは患者本人だけではなく、医師たちも最良を求めて苦悩する。 誰しも必ず訪れる最後の瞬間を迎える瞬間は、静かで、深い。

『君と歩く世界』

イメージ
 シャチの調教師として働くステファニーは水中ショーの最中の事故で両足を失ってしまう。 絶望で心を閉ざしたステファニーが連絡を取ったのはナイトクラブで自分を救ってくれた男アリだった。 このアリという男。 頭の中にあるのはセックスと格闘技というなかなかの野生児。 しかし足がないというだけで憐みの視線を浴びなければならない絶望の中にあるステファニーにとって野生児アリはシンプルイズベストでいい男。 ステファニーは次第にアリに惹かれていく。 アリはアリでステファニーの気持ちに気づきながら、ステファニーの目の前で悪びれもせず他の女性とどこかに行ってしまうような本能むき出しの男。 気持ちがいい男といえば気持ちがいいがそんなアリにも試練が訪れる。 最愛の息子を助けるために格闘技で鳴らした拳がうなる。 格闘技をやっている時よりも強く、激しく、両方の拳が壊れるほど。 格闘技をやっている時でさえここまではしない。 倒すためではなく助けるため。 人は自分や愛する人の死の間際に直面した時に自分のそれまでの人生の意味を理解する。 決してハッピーエンドではないが、アリの穏やかになった表情と、アリを見つめるステファニーの表情に二人だけのハッピーが終着する。 いい。

『博士と狂人』

イメージ
  言葉の翼を持てば世界の果てまで飛べる 世界最高峰の辞書と称賛される『オックスフォード英語大辞典』。 しかしそのプロジェクトは困難を極める。 英語辞典編纂計画を推し進めるべく採用されたのは独学で言語学博士となった天才、マレー博士。 マレー博士をもってしてもなかなか進まない編纂計画だが、マレー博士の前に協力者として現れたのは殺人を犯して精神病院に収監中のマイナー博士だった。 異端と言われながらも辞典の編纂に並々ならぬ情熱を燃やすマレー博士と、強迫観念に苦しみもがきながらも未来にささやかな希望を願うマイナー博士。 情熱と狂気。 2人の立場や行動原理は異なれど、言葉に対する圧倒的な執念を静かに淡々と紡ぐ。 言葉への畏敬に溢れたこの映画を、言葉で語れるように私はなりたい。